自信アップ!につながるかもしれないブログ

自分に自信のない著者・えすしが、確固たる自信がないと人生は歩めないのか考えます。

頭の中を整理~仕事の本質とは~

こんにちは。エスシです。
またしばらくぶりの更新になりましたが、相変わらずストレス性と思われる胃痛や体調不良、憂鬱に耐えつつなんとかやっています。


最近思うのが、自分が長らく「なんとなく形だけ」の人間だったということ。
もちろん自覚は無く、その時その時自分なりに努力してきたつもりだったんですが、一言で言ってしまうと「頑張りどころを間違っていたなぁ」と思うのです。
人間誰しも最初は形から入って、やっていくうちに本質を掴んでいくものですが、私はその本質にたどり着くのに長い時間がかかっているようです。それも、自分の自信のなさにとらわれすぎて、周りが見えていなかったりその先にある本当に大切なものに目を向けていなかったせいではないかと、最近特に思います。


例えば今の仕事、イベント運営で言うと、その仕事をするのは自分の為です。


では、自分の為とは?

……クライアントに喜んでもらい、次の仕事に繋げる信頼を得ること。この場合のクライアントは、イベントの主催者になります。


では、クライアントはどうしたら喜ぶのか?

……イベントに参加するお客様に喜んでもらうこと。楽しかった、来てよかった、また来たいと思われること。


では、お客様にどうやって喜んでもらうのか?←これを考えることが本質!


時にはクライアントとお客様の求めるものが違っていることもあります。そんな時、冷静にどの策を取るのが本当にお客様の為になるかを考え、クライアントと戦わねばなりません。しかし、お客様の要望にただイエスと言い続けるのも違います。「それはかえって良くない結果になる」と思ったらノーと言える勇気も必要ですが、私はこの辺の判断がとても苦手です。希望を叶えたいと思うあまり本当の意味でお客様に喜んでもらう結果に導けない、冷静に判断が出来ないのです。


それに、いくらお客様に喜んでもらっても、スタッフが不満タラタラな状態になってしまってはダメです。イベントはスタッフ皆でつくるもの、誰しもやるなら気持ちよく仕事したいですよね。その為には、しっかりその行動の意図を伝えたり、その伝え方に気をつけないといけません。
実は私はこれも苦手で、気持ちばかり焦ってしまい、相手がこう言われたらどう思うかまで咄嗟に考えられず、後になって「こう言えばよかった」と1人悩むことが多いです。


その苦手なことを避け続けてきた結果、形だけの人間になってしまったのかも知れません……


人間ですから、得手不得手があるのは当たり前です。
ですが、不得手でもそれが必要で他の手段がないならやらなきゃならない。
ここで「よし、やるぞ!」と腹を括るべきなのですが、私はこれも出来ていない!
「苦手なんだけどなぁ」とか「嫌だなぁ」という気持ちが先にたちすぎて、そういう部分が相手に伝わってしまっているのでしょう。
「苦手ではあるけど、その分精一杯がんばろう!」そういう前向きな気持ちにどうしてもなれず……書いていて本当に情けなくなってきました。ああ、泣きたくなってきた。


「思い切りが足りない」と先輩に言われたことがありますが、まさに私のそういう部分を見抜いての発言だったのでしょう。今更ながら、納得。
きっと思い切りが持てないその裏には、恥をかきたくないとか、馬鹿だと思われたくないとか、そういう自分勝手なプライドがあるのだと思います。それを捨てて裸にならないと人は協力してくれない。腹の内を見せずに何を考えているかわからないような人間に協力したいとは思いませんよね。
じゃあここで正直に「私なんにも出来なくて自信がないんです~」と言えばいいのでしょうか?
それは経験上違うとわかります。それをやっていいのはよっぽど人望があるとか、他に才能のある人です。私は残念ながらそういうタイプではありません。


そこで考えたのが

「自分からはあえて言わない、だけど嘘はつかない」というスタンス。


練習の場でもなければ、何も聞かれていないのに「私○○が苦手で~」なんて言う必要ないですよね。今まではそれが相手に嘘をついているような気がして嫌だったのですが、その嫌な気持ちは自分の問題で、周りの人には関係ないものだと最近思い始めました。
出来ないのに出来ますと言っているわけではないのですから嘘はついていません。どうしても嫌なら、その気持ちを払拭すべく個人的に努力するべきなのです。それに、得意とか苦手とか、言わなくてもその人のことを見ていればわかるものです。つまり、あえて言葉にしなくてもいいのです。


そのかわり、嘘はつかない。
「もしかして、これ苦手?」と言われたとしたら、「いいえ!得意です!」とは言わないで認める。
今までは指摘されると、怒られている、否定されていると思い込んでいました。しかし、もし自分が相手の立場だったら「指摘=批判」となるでしょうか?むしろ応援の気持ちが強かったりしないでしょうか?「こうすればもっと良くなるよ」と教えたい、そう思って言ってくれたのかもしれません。(もちろん怒られる前置きの場合もあります;;)


私は今まで、相手の表情をちゃんと読み取ることなくとりあえず謝っていました。謝ることでその話を終わらせ、無意識に怒られるのを避けていたのです。成長するチャンスを自ら奪っていたことに、最近やっと気付きました。
自分を守るのに必死で、周りの人が差し伸べてくれた手を払っていたなんて。無意識とはいえ、いや、だからこそたちが悪い!大反省です。


これからは指摘を受け止め、その上で「何か気付いたことがあったら教えてください」と教えてもらうくらいの気持ちでいきたいと思います。
正直今も怖いです。でも今の私に考えられる唯一の手段なので、頑張ってみます。
そこから少しずつ変わっていって、本質をしっかり見据えられる人になりたいです。